親不孝者の私が初めて親に贈った、写真館での記念写真エピソード

私は若く学生だった頃、いわゆる不良と言われる人間でした。気が短く、喧嘩が大好きで、ちょっとした理由で売り言葉や買い言葉が飛び出し、幸い補導される程ではありませんでしたが、警察のお世話になった事もあります。その度に、両親には沢山迷惑をかけてきました。

その時が楽しければそれでいい、と沢山の悪友とよくバカ騒ぎをしていました。ある日、グループ内でリーダー格だった友人が突然「俺は更生する事にした」、と言いだしました。何を言っているんだ?と私は不思議に思いました。その友人は、家庭環境が悪く、両親と不仲で、それが原因で非行に走ったような男でした。ですから、早く親から縁を切って自立したい、と考えていたのです。しかし、非行に走って逃げているだけではまともに就職して稼いで1人で生きていく、という事が出来ないと気付いた、との事でした。そして、彼は私達のグループから抜けていきました。

その後、私は、やんちゃが過ぎて高校を中退し、親に叱られながらも、ただ甘え続けて、しばらく遊んで過ごしていました。そんな時、リーダーだったあの友人に偶然再会しました。彼は、私達と決別した後、真面目に勉強し、とある会社に就職する事ができ、願っていた通り親から離れ、自立していました。しかも、職場恋愛から今の奥さんと結婚し、子供が2人もいて、とても幸せそうでした。

私はその時になって、彼と自分の置かれている状況が大きく違っている事に愕然としました。親がいなくなったら自分1人で生きていかなくてはならない。けれども、仕事をしていなければ、生活費はどうする?生きていく上で必要な知識も全然足りていない。その時私は、既に20歳を超えていました。まだ一応若いけれど、このままでは…と、とてつもない焦りを感じました。

途方に暮れた私は、初めて両親に将来の事を相談しました。両親はしばらく、ただ私の話を聞いてくれました。母は時々、涙を流していました。「やっと、真面目に考えるようになってくれたんだね」と喜んでいるようでした。

次の日から、父の紹介で、親戚の会社で働かせてもらえる事になりました。私は、しばらくは全く役に立てず、ミスで上司から叱責される事が沢山ありました。真面目に何かをした事がなかったので、辛いと感じる事もありましたが、この会社を辞めてしまったら、自分を受け入れてくれる場所なんて存在しないと思い、仕事に必要な事は必死で覚えていきました。

慣れていくにつれて、私はその会社でのコツが分かるようになり、上司から少しずつ認められて、5年、10年、20年…と働き続けた結果、出世もしました。今では驚く事に、それなりの役職です。どうしても辛い時は両親に、励ましてもらったおかげでここまで来れたのです。

そんな両親ですが、今年で還暦を迎える事になりました。私の事で、今まで苦労をかけた両親には、何か思い出に残るような還暦祝いのプレゼントをしたいと思い、初めて写真館で家族写真を撮る事にしました。父も母も仕事を定年退職し、見た目もずいぶんと老けましたが、家で写真を撮るよりも、写真館での撮影なら、綺麗な衣装があり、ヘアメイク等もできますから、絶対に綺麗で良い記念写真が撮れると思ったからです。

実際に撮影した写真は3人の笑顔がとても良く写り、仕上がりは最高で、家の居間に飾られています。あまりにも綺麗に写ったものですから、父も母も写真を見る度に「うちの息子はかっこよくて、よく出来た息子なんだよ」、と息子自慢をしている位です。